山鹿について

山鹿市

熊本県北部の内陸に位置する山鹿市。温暖な気候と肥沃な土地、豊かな自然に恵まれています。福岡県・大分県との県境付近にそびえるのは、国見山(1,018m)、八方ヶ岳(1,052m)などの深緑の山々。市の中心部には清らかな菊池川が流れ、平坦な流域に田園が広がります。
菊池川を利用した水運により、古くから米の集積地として栄えた山鹿は、麹や日本酒など米を原料とした特産品が充実。工芸品としては、室町時代から伝わる「山鹿灯籠」や、400年の歴史がある「来民うちわ」などが有名です。
頭上に「山鹿灯籠」を乗せた踊り子が優雅に舞い踊る夏の「山鹿灯籠まつり」、西南の役以後の戦没者の慰霊祭として始められ、100年以上の歴史を持つ「鹿本町招魂祭」、灯りのオブジェが美しく街を彩る冬の「山鹿灯籠浪漫・百華百彩」の際には、県内外から多くの観光客が集まります。

 

歴史

江戸時代には菊池川の水運によって物流の集散地となり、参勤交代の道として整えられた「豊前街道」を中心に宿場町として、明治以降は各種行政機関の立地により「地方行政の中心地」として栄えました。
豊前街道には今も歴史ある商家が軒を連ね、明治時代に建設された芝居小屋「八千代座」をはじめ、山鹿灯籠民芸館や寺社、酒蔵や味噌蔵などが立ち並ぶ歴史浪漫あふれる通りになっております。
一方で、平安時代に書かれた「和名抄(わみょうしょう)」には「温泉郷(ゆごう)」の名で登場し、湯の街として1,000年以上の歴史をもちます。街の中心で市民に愛され続けている「さくら湯」は、江戸時代の御殿湯に端を発する趣ある温泉です。

 

八千代座<国指定重要文化財>

明治時代に商工業で栄えた〝旦那衆”と呼ばれる実業家たちが、私財を投じて建設した芝居小屋。明治44年の「こけら落とし」以降、多くの芸能人が来演し、観客を喜ばせました。昭和にはテレビの普及などにより一時廃墟同然となりますが、八千代座での思い出をもつ市民が復興運動を展開。昭和63年には国の重要文化財に指定されるに至りました。
江戸時代の伝統的な芝居小屋仕様はもちろん、客席の天井一面に描かれた広告画は圧巻の迫力。客席に坐して耳を澄ませば、当時の熱気や観客の歓声が聞こえてくるようです。
現在も多くのお芝居やコンサートが開かており、公演が行われない日は楽屋や廻り舞台など、舞台の裏側まで見学できます。

 

さくら湯

今から約370年前に、肥後細川藩初代藩主の細川忠利公が山鹿の温泉を大変気に入り「御茶屋」を新築したのが「さくら湯」の始まりです。御茶屋とは、参勤交代の際など利用された休息・宿泊所のこと。明治時代には、山鹿の“旦那衆”の尽力により「市民温泉」として生まれ変わり、コミュニケーションや憩いの場として市民に愛され続けました。昭和48年に一度取り壊されてしまいますが、平成24年には当時の趣そのままの木造温泉として再生。残された絵図に基づいて、日本の伝統工法によって再現された唐破風のある南北玄関や、十字にクロスした独特な屋根の形など、見どころが満載です。泉質はとろとろと柔らかく、美肌の湯としても高い人気を誇っています。

 

季節のイベント

春:山鹿温泉祭

4月初旬に温泉の恵みに感謝して行われる祭り。古式ゆかしい御幸式行列や「陽謡踊」と銘打った市民総踊りなど、温泉にちなんだ行事が目白押しです。

夏:山鹿灯籠まつり

頭上に金灯籠を乗せた踊り子たちが、ゆったりとした「よへほ節」の調べに合わせてしなやかに舞う姿は、山鹿の夏の風物詩。中でも「千人灯籠踊り」は、幾重にも重なり揺らめく灯が、観ている者を日常から離れた優雅な世界へと誘います。

夏:鹿本町招魂祭

西南の役以後の戦没者の慰霊祭として始められ、100年以上の歴史を持つ「鹿本町招魂祭」。鹿本総合支所駐車場をメイン会場に、来民商店街がまつり一色となり、家族みんなで楽しめます。

秋:山鹿風情物語

山鹿の二大郷土芸能「山鹿太鼓」と「山鹿灯籠踊り」の共演。国指定重要文化財「八千代座」にて、ゆっくりと郷土芸能を楽しむことができます。

冬:山鹿灯籠浪漫・百華百彩

凛と澄んだ空気の中、温かな和の灯りが、八千代座エントランスや豊前街道沿いを鮮やかに彩ります。八千代座では「山鹿風情物語」も同時開催。